木本隆 (きもとたかし)

1981年4月 (株)アルプス電気入社
2006年7月 営業本部副本部長
2008年6月 取締役
2009年4月 AUTO事業本部長
2010年4月 欧米担当
2012年4月 営業本部長(現任)
2012年6月 常務取締役
2016年6月 専務取締役(現任)
 

1977年に中央大学へ入学した際に「4年間しかないからこそ一つのことを極めよう」と部活を選んでいた。そのとき、当時は大学非公認ながらも活発な活動を行っていたアメリカンフットボール部に惹かれて入部した。だが、非公認ゆえにアメフト経験者が多いわけではなく、運営費や練習するグランドすらままならない状況だった。それでも部費や遠征費を工面するためアルバイトをしつつ、毎日欠かさず練習をした。そうした逆境がチームの結束力を高めてくれた。

アメフトを楽しむだけでなく、試合での勝利も目指した。幸い、アメフトは経験や体格だけでなく戦術でも戦うことができるスポーツ。米国チームの戦術が掲載されている書物を購入、英文科の先輩が訳し、本場の戦術を取り入れた。日本で普及していなかった陣形的なディフェンスを取り入れた守備力が強固なチームだった。私自身、ディフェンスラインの両端を任され、ロースコアゲームを得意とした。大学3年生の時には各有力校がひしめく中、堅固な守備力で関東学生アメリカンフットボール連盟が主催する「関東8大学リーグ」で優勝した。

4年生になると主将を任され、リーグ連覇という目標を掲げた。結果は3位だったが、重圧の中で支えてくれたのがロフト(東京都新宿区)取締役の内海芳雄君らの副将だった。同級生には日立建機社長の平野耕太郎君やサクサ執行役員の嶋中健君らも名を連ねる。優秀なマネジャーにも恵まれた。支援する人々がいるからこそ試合に挑めることを学んだ。

アメフトの経験は現在の自分を支えてくれる大切な思い出。経営する立場として国内外の生産現場にも足しげく通っている。誰一人欠けてはいけない仲間という気持ちをアメフトに教わったからだ。米国に赴任した際には顧客との会話にきっかけを与え距離感を縮めてくれた。今でも当時の仲間と後輩の試合を年に1度は見に行く。すでに大学公認の部活となっており、同期18人にとっても心の依拠する場所だ。

https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00428312?isReadConfirmed=true



2列目左から3人目が木本さん